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体験レッスンの日

体験レッスンの日は、朝から落ち着きませんでした。

だっていつも一人でピアノを弾いていて、「先生」が横にいる状態で弾くなんて15年ぶり。

アコースティックピアノ触るのも13年ぶり。

先生もどんな人かわからないし・・・・・。いや、有名音大卒の先生だから、ダメだしされまくるにきまってるんだし(笑)

会社のおじさんにまで

「実は今日ピアノの体験レッスンなんですよーーー。緊張してヤバいんですけど、どうにかしてくれませんかあ??」

「いや、むしろ、もう逃げ帰ってもいいでしょうかねえ???」

とか言いながら気を紛らわせていました。

そして約束の時間、教室の前に行くと、中学生の子がモーツァルトのソナタを弾いているのがわかりました。

個人教室ですが、空き店舗を借りて開いている教室で、少し音が聞こえる&ガラス張りなんです。

足を蚊に刺されまくりながら待ち、前の子のレッスンが終わったタイミングで中に入ることに。

一言二言、先生と言葉を交わした後、私は完全にここに通うことを決めてました。

だってすごく感じが良い先生で、第一印象最高だったから!!!!

しかも大人の生徒は、発表会は強制じゃないらしいし。←これ大事

でも、この後、ちょっとドキっとすること言われた。

「子供の頃経験があって、住所が変わってないのでしたら、ここに通われた場合前の先生が気を悪くされたりしませんか???」

考えもしなかった質問だったのでうろたえながら、

「い、いえ・・・・前の先生は忙しいし子供しか教えないなので・・・おそらくいいとは思うんですが・・・」

と言うと、私が動揺したのが分かったのか

「いやー、私の方はいいんです。ただちょっと気になったんですよ」

と言われ、この期に及んで断られなくて良かったなと心から思いました。

前の教室は、発表会もなければ、もちろんコンクール出る人なんているはずもなく、

他の先生とのつながりもない感じだったので分かりませんでしたが

音楽を本格的にやってると、色々と・・・・あるんですよね。ちょっと焦りましたが、ある意味勉強になりました 汗

そういえば、曲用意してきたけど弾いてって言われないなー。まあ緊張するし弾かないで済んだ方がいいや」

という心の声がよぎった瞬間、先生から

「何か一曲弾いて行きますか???次からでもいいけど・・・・」

と言われ、「え・・・緊張するんですが・・・」等と言いつつ、まあ現状を知ってもらっておいた方がいいだろうと判断してピアノへ。

13年ぶりのグランドピアノは、思ったより鍵盤が重く感じ、音抜けまくり、終始メゾフォルテというボロボロのロンドニ長調を汗だくになりながら披露((+_+))

「今のレベルはブルグ~ソナチネ」とメールに書いていたためか、「思ったより弾けるんだね」と言っていただき助かりました。

その後話し合って、ツェルニー30番+別れのワルツからレッスンを開始ということに決定!!!

遂に始まるレッスンにワクワクしつつ、グランドピアノを弾いたときのあまりの体力消耗に若干不安になったぶんごろでした・・・・。

次回からは、手元にあるレッスン記録を基に、簡潔に過去のレッスン記録を書き上げ、早いうちに現在進行形の

ピアノレッスン日記にしていきたいと思います。

ピアノ空白期間②からレッスン再開決意まで

前回の記事の通り、海外渡航に向けてハンドロールピアノを購入したのに結局使えず、完全に弾く機会を失った私。

10か月後帰国したら弾くかと思いきや、逆ホームシック状態でピアノを弾く気力もありませんでした。

新しく始めた仕事にもそこそこ慣れ、

帰国して数か月後、1年半ぶりくらいに恐る恐るピアノを弾いてみると、

やはりブルグミュラーレベルさえ弾けなくなっていました(-_-;)

しかしその後すぐ家を新築することになり、家が建つまでの間住むことになった小さな借家には

電子ピアノを入れるスペースがなく、結局数か月間押入れに眠ってもらうこととなり、またもや弾く機会を失いました。

少しずつ練習するようになったのは、新しい家に移って数か月してから。今から6年前のことです。

バイエル80番程度からやり直して初級や中級程度の曲集を購入し、短めの曲を少しずつ譜読みすることが増えました。

今のように、レッスンという小さな目標もなかったので、数日やっては数日休むという感じではありましたが・・・・。

このころ新しく弾いてみた曲は、「ト調のメヌエット」「荒野のバラ」「別れのワルツ」「小さな黒人」等々、

小学校低学年が弾いているような曲ばかりでした(゜_゜>)荒野のバラの、左手メロディの箇所さえもきれいに弾けないレベルでした (+_+)

この頃から、レッスンを再開したい気持ちが高まったり、下がったりを繰り返すようになりました。

職場の近くの小さな商店街にある、今通っている教室も、4年くらい前、再開したい気持ちがピークの時にたまたま見つけ、

教室の入口にかけてあったチラシを取ったこともあります。しかしその時は、

先生が有名音大出であることで躊躇してしまい(音大出の先生は恐ろしいと決めつけていた 笑)、連絡する勇気が出ず、

仕事も残業が続いたりしたため、いつの間にかまた、レッスン再開したい気持ちが薄れていました。

更に、電車で2時間かかる距離に住む彼と付き合うようになり、土日はそちらの家に行くことが増えたこともあり、

レッスン再開のことを考えることもない日々がしばらく続きました。

今度こそ再開しよう!!!と決意したのは、その彼が近くに引っ越してきて数か月経った、

去年の夏のことです。三十路となり、新しいことを始めたいと思ったということもありました。

このころは、ハイドンの簡単なソナタや、ソナチネアルバムの最後の方にある曲など、中学生の頃弾けないまま合格になった曲を弾いていました。

気楽にやるには、カルチャーセンター等の講座がいいかなーとも思ってネット検索したりもしましたが、

色々と考えていると、自宅からも会社からも車で30分近くという距離が微妙に感じ、結局却下。

年上の先生を希望していたので、若い先生が多そうな大手も却下。

月謝が高すぎるところも当然却下。

結局、4年前連絡するのを躊躇した教室が条件にぴったりでした。

職場から歩いて7分程度。家から通うことになったとしても、車で15分。

店舗を借りてまで教室をやれているということは先生は多分そこまで若くはないはず。

電子ピアノしか持ってないし、発表会は死んでも出たくないけど受け入れてくれるか、

また、先生が厳しすぎないか等(←有名音大にまだビビってました・・・)不安はありましたが、

色々な教室が登録しているサイトを通して、意を決して連絡を取ることに!!!!

しかも、職場のパソコンから、かなり勢いで (笑)

・電子ピアノしかないし今後もアコースティックは買えないが大丈夫か

・発表会が強制ではないか

・子供時代に経験はあるがレベルはブルグ~ソナチネ程度しかない

等々、かなりネガティブ発言の含まれる文面を送ったところ、1週間以上何も返事が無く、

「完全に拒否されとるやん・・・・」

と思い、再開したい熱がまたもや下がり始めた頃、

パソコンが見れなかったために返事が遅れたお詫びと、

都合のいい時に電話してくださいと書かれたメールをいただきました。

拒否されてるんじゃなくてよかったーーー (笑)

ただ、正直、レッスンはもういいかなーと思っている時期ではありました。

でも折角返信をいただいたし、とりあえず電話してみることにしました。

そしてあれよあれよという間に話が進み、次の日にとりあえず教室に行くことが決定しました!

一応、当時2週間程練習していたモーツァルトの「ロンド ニ長調」を持っていくことに決めました。

次の記事はドキドキの体験レッスンについてです。

ピアノ空白期間①

高校生でレッスンを卒業した後も、遊びで時々ピアノを触っていました。

ただ、基本的に新しい曲の譜読みはほとんどしない状態で。というか、

遊びで気持ちよく弾ける曲のレベルは、せいぜいブルグミュラー位のものだったので、

小学校時代大好きだったアラベスク、スティリアの女(今は訳が変わっているそうですね)、貴婦人の乗馬(これも今は変わってる??)や、乙女の祈り(←やはり出たーーーーーー)、エリーゼのためにを弾くことが多かったと思います。

しかし、大学生になり、バイトをかけもちでやるようになると、それさえもできなくなりました (+_+)

片道2時間かけて行って通っていたこともあり、だんだんとピアノから遠ざかっていき、

1年に1回もピアノのふたを開けないような時もありました。

ただ当時、バイトで塾の講師をしており、その生徒から

「今子犬のワルツ弾いてるよ」「今度悲愴第3楽章弾くことになった」など聞いたりして、

羨ましいな、自分もまたピアノが弾きたいなと漠然と思っていました。

1年位ぶりにピアノを弾いてみると、バイエルさえ微妙になっていたりしてショックを受けることも('_')

そして大学卒業後、仕事を始めると忙しすぎて全く弾けないように・・・・・。

ほぼピアノを弾かない日々が続いてしまいました。

しかし常にピアノを弾きたい気持ちはありました。

2年経った後、仕事の契約を延長せず、1年弱外国暮らしをすることに決めたのですが、

その時にどうにかして何らかの鍵盤を持って行こうと、

ロールピアノを購入した程です。←結局使い物にならなかった

仕事の契約期間が切れ、日本を発つまで2ヶ月の期間がありましたが、

その期間にピアノを弾きまくっていたのを思い出します。

ショパンのピアノ曲が大量に入ったCDも、日本を発つ直前に購入して聴いていました。

次の記事に続きます。

高校生時代

高校生となり、大きく生活が変わるため、

きちんと生活のリズムができるかどうかを見極めるため、このまま辞めることも念頭に置いた上で、

しばらくの間、レッスンをお休みすることにしました。

高校生活が始まると、やはり忙しすぎて、とてもじゃないけど練習できないのは明らかでしたが、

やっぱりピアノが好きな私(下手なのに 笑)。

結局、レッスンに復帰しました。

ソナタアルバムと、ショパンの幼少期の作品を集めた曲集、

そして中学の頃にもらった編曲物の簡単な曲集を引き続きやりました。

でも、中学時代よりも更にレッスンの状態は悪くなりました。

ソナタアルバムは1から2に入り、1の時と比べても、更に弾けてないのにどんどん○になってしまう。

その頃弾いたソナタは、今楽譜を見てもほとんど覚えてないほどです。

まともに弾けるのは編曲ものの曲集のみ。

毎週土曜日がレッスンの日でしたが、あまりにも練習できなくて結局半分位ズル休みしてしまっていました。

電話もせずに休んだこともあります。今思うと本当に失礼な生徒です。

先生ごめんなさい・・・・・・・・。

結局、数か月間悩みに悩んで、レッスンは完全に辞めることにしました。

最後のレッスンの日、

「ぶんごろちゃんは長いスランプもあったよね・・・・」と先生に言われ、

いやいやスランプとか思ってないよ・・とツッコミを入れたくなりました。

スランプというより自分の時間の使い方が悪くて練習時間がなかったから弾けなかっただけだと今でも思っています。

でも、そのことで先生に苦労をかけてしまっていたことに気づいて本当に心が痛かったです。

そして、最後に、私が当時まともに弾けた数少ない曲「乙女の祈り」と「花の歌」←中学から変化してない 笑

を弾いて完全にレッスン終了となりました。

乙女の祈りを弾いている時に先生が涙を浮かべていたのが印象的でした。

思えば、色々かわいがってもらったな。

先生の家を去る時はやっぱり寂しかったです。

学校の話をすると、高校での芸術の授業は、音楽好きの私はやはり当たり前のように音楽を履修していました。

当時の音楽の先生は、1学期に一度、好きな楽器で(グループでも個人でもよい)

クラス内で発表会をしていたので、少人数ではありますが

人前で弾く機会は複数回ありました。

特覚えているのは、レッスンを卒業してだいぶたったの3年生の時。

10クラス中、私立文系コースだった私のクラスのみに芸術の授業があり、

その中で音楽履修は15人程度。

そんな感じだったので、本来お堅いはずのその音楽の先生も、あまり授業っぽいことをせず、

授業時間中、発表の練習をかなりできたし、受験に向けた授業の合間の

癒しの時間となっていました。(当時ピアノを始めて3年目だった連弾相手に、

強弱がなってなさすぎだと言われて少し凹みもしたけど・・・笑)

高3の2学期の最後の発表会の時、中学時代コソ練していたノクターン2番を弾いたのが、

子供時代人前で弾いた最後となりました。ミスタッチやりまくりでしたけど・・・・

その後、13年間もの間、グランドピアノはおろか、アップライトにも触れる機会がありませんでした。

ちなみに私、高校生の時にレッスンに通った時期があること、ほとんどの人に話していません。

中学までということにしています。

だってほとんどレッスンさぼっていたし、行ってないのも同然だから。

今のピアノの先生にも話していません。今なら話そうと思えば気軽に話せるのですが、

レッスンを始める時、高校生までやってたと言ってレベルを高いと勘違いされても困ると思ったから。

中学時代にソナタを弾いたことがあるのも、ハイドンのごく簡単なソナタを除き、譜読みさえできてないので

完全に隠していました。(これは今は話してあります)

私、今の先生のことすごく信頼しているんです。

だから、あまり気にする必要はないのかもしれませんが、

ある意味「嘘」をついてることが少し心苦しかったりもします。


中学生時代

中学になると、音楽の授業で合唱が大きなウェイトを占めるようになります。

伴奏ができる人を探すため、入学してすぐにピアノを習っている人は挙手するように言われました。

他の小学校の人も入ってきているし、自分のピアノのレベルは決して高くないとわかっていましたが、

一応手を挙げたことを覚えています。

でも、内心ドキドキでした。合唱の伴奏とは、授業で弾くのではなく

基本的に、クラス対抗合唱コンクールでの演奏を意味します。

小学校の時とは違い、出来るだけ目立ちたくなかったのと、

極度のあがり症になっていたこともあり、

ピアノの先生に「ぶんごろちゃんも伴奏引き受けてみたらいいのに」

と言われても、「ムリです。。。。」と言って拒否していました。

幸い、3年間、他に伴奏希望者がいたので助かりました(^^)

レベルとしては、中2の途中からソナタに入った感じだったと思います。

ただ、このころはもうレッスンの雲行きがあやしくなっていました。

塾に入って慣れるまで数ヶ月ピアノをお休みしたりしながらも、

やはりピアノが好きでレッスンを再開したのは良いのですが、

結局練習がほとんどできない状態でした。

電子ピアノにも関わらず、親にヘッドフォンの使用を禁止され、また打鍵音がうるさいと

夜間の練習もさせてもらえなかったのですf^_^;

その結果、ミスタッチどころか、指定の半分以下かとも思われるテンポで、

とまりまくりながら弾いても先生がマルをくれるようになり、教本だけ進む状態になってしまったのです。

もしかすると、先生が私にプライドがあるだろうと思い、教本のレベルを下げる提案を躊躇していたのかもしれません。

その証拠に、ソナタを一応弾いているのに、新しく渡された併用教材は、大人から始めた人用の、

ごく簡単な編曲物でした(⌒-⌒; )「何が弾いてみたい?」と先生に聞かれることもありましたが、

今みたいにすぐ検索というわけにもいかず、曲も全然知らない状態で困ったり。。。。

学校の話に戻ります。あがり症の私ですが、音楽の授業の前の休み時間にクラスメイトに何か弾いてと頼まれた時には、当時数少ない私のレパートリーだった、

「乙女の祈り」やメンデルスゾーンの「結婚行進曲」「花の歌」などを弾いていました。

家は電子ピアノで、レッスンはアップライト、発表会無しという環境の中、

今思えばグランドピアノに触れられる良い機会となっていたかもしれません。

そして中3で卒業が近づく中、クラス内のグループ毎に合唱を発表することになりました。

グループが5人という状態で、1人は伴奏しなければならず、その中では私が一番弾けていたので、

さすがにこれは引き受けました。まあ普通にこなしたはずです。

そして、学年全体で卒業式のリハーサル中、いきなり音楽の先生に呼ばれ、

「ぶんごろ、この曲の伴奏してくれ。この前弾きよったよなあ」(←女性の先生だけど常にこの口調)と指名が!(◎_◎;)

そう、私たちのグループは、若干手抜きをして卒業式で歌う歌を授業で発表していたのです。

いきなり言われても心の準備が。。。。

「人前で弾いたことないし。。。」と一旦断りましたが、「大丈夫や」と言われ、

しぶしぶ伴奏をすることに。

これもまあ、普通にこなせたと思います。

私がピアノを習っていることさえ知らなかった担任が驚愕していたのが印象的でした(^∇^)

てなわけで、「卒業式のリハーサル」で、学年200人の合唱の

伴奏をしたのが、私にとって中学時代最初で最後の舞台(笑)となったのでした。

もちろん、本番ではないので写真やビデオ等残っていませんが、

良い記念になったので、音楽の先生に感謝です(^^)

ちなみに本番弾かなかったのは、私のレベルの問題ではなく、

うちの中学では、卒業式の伴奏は全て先生が行う伝統があったからです。

当時学校に音楽の先生が2人いて、1人が指揮、1人が伴奏でしたが、今は生徒数の減少で

音楽の先生は1人しかいないようなので、今は生徒がやっているのかもしれません。

小学校卒業まで

小3の5月、小さな頃から習いたかったピアノを遂に習えることになりました!

母に聞いた所、成長して、私が幼稚園の先生や保育士になりたいと思った時のためにも習っておいた方がよいと思ったそうです。

自宅から徒歩10分位の、普通のおばちゃんがやっているピアノ教室。

母の友人の娘さん先に習っていて、その方に紹介してもらいました。

母がすぐにここに決めたのは、知り合いからの紹介ということももちろんですが、

月謝が格安なこと、発表会がなくお金がかからないこと、

また、鍵盤が足らなくなるまでは、幼稚園時代に買ってもらった中古エレクトーンでの練習でも良いと

言ってくれたことが大きかったようです 笑

子供時代に発表会を経験してみたかったと思わなくもないですが、

習わせてくれた両親には本当に感謝しています。

赤バイエルからスタートし、小4になるとエレクトーンでの練習に無理が出たため、

当時まだ超少数派だった電子ピアノを買ってもらいました。

中古ピアノを買える位の金額でしたが、スペースの関係で、2階にあった私の部屋に置かなければならなかったので、重量その他の関係で本物のピアノという選択肢がなかったのです。

詳細は省きますが、赤バイエルからスタートし、小5の冬頃にブルグを終了、

小学校卒業時点で、ソナチネをいくつか弾き終わった状態でした。

とにかく少しピアノが弾けるようになれば、という感じの緩い教室だったのもあり、

あまり完成度が高くなくても合格になっていたので、実際の実力がそれ以下だったのは明らかですf^_^;

例えば、ブルグでいうと「つばめ」など、超スロースピードで、全くつばめじゃなかったです (^^;;

そしてバイエルの106番、まともに弾けた記憶がないし、今でも若干あやしい気がしますw

ただ、小学校時代は、幼稚園から他の教室でピアノを習っている友達の家に遊びに行き、

ピアノをよく一緒に弾いていたので、良い刺激にはなっていて、まだブルグの「優しい花」を

弾いていたときに勝手に「貴婦人の乗馬」の譜読みをしたりしました。

因みに当時、1日30分も練習してないにも関わらず、いつも「ぶんごろちゃんはいつも本当に良く練習してるね、

ピアノ本当に好きなんだね」と頻繁に言われて、戸惑っていました。

母も、たまに先生と会うといつも私のことを褒められ、いつも「意味わからん」などと言っていました。

数年習い、自分の前の生徒のレッスン等見ていて分かったことですが、

先生があまりに優しすぎたためか、全く練習しない生徒が多数存在し、

そんな生徒に比べると私の進度が多少進んでいるというのが真相のようでした (⌒-⌒; )

20年前の話なので、本当に珍しいケースです。

とは言え、習い始めて1年ちょっと経つと、周囲のピアノを習っている同級生とのレベルのギャップも

最初の頃程ではなくなっていたので、ピアノをみんなの前で弾いてみたいという気持ちが芽生え始めました。

もちろん学芸会での伴奏などできるレベルではありませんでしたが。。。。。

結局、5年生の時、6年生を送る会で5年生の学年合奏の伴奏をしたのが

私にとって小学生時代最初で最後の大舞台となりました。






鍵盤楽器との出会い

私は、3歳ぐらいのときに、近所の小さなおもちゃ屋でプラスチック製のハーモニカを買ってもらい、

自己流で曲を吹いていました。記憶にないのですが、上下逆にしてドレミファソラシドと

吹けるようにもなっていたそうです(;゜0゜)

生まれつき楽器演奏が好きなんだと思います(^ ^)

そんな私が初めて鍵盤楽器を見たのは、4歳で幼稚園に入園してオルガンを見た時。

先生が童謡を上手に弾くのを見て、本当に憧れました!!

そして、同じ頃遊びに行った友達の家で、今では見なくなった足踏みオルガンを弾いて遊んだのが楽しく、

私もオルガンが欲しいと両親に頼みました。

私の幼稚園では、年長になるとピアニカを絶対弾かないといけなかったという事情もあったからか、

5歳の誕生日に、どこかの音楽教室で使われていた中古のエレクトーン(後から聞きましたが、2万円だったそう(;゜0゜))を買ってもらうことができました!

習いたい気持ちはありましたが、結局、知っている童謡に適当に分散和音の伴奏をつけて弾いて遊ぶ日々が

小3の4月まで続きました。


プロフィール

ぶんごろ

Author:ぶんごろ
 小3の頃から7年程、発表会も無いゆるい教室でピアノを習い、大して弾けないまま教室卒業。その後、遊びで弾くだけの数年と、全くピアノに触りもしない数年も経て、15年振りに違う先生の所でレッスン再開して3年経ちました。子供時代に経験のなかった発表会にも2度参加し、子供時代よりは弾けるようになりました。ピアノ生活、かなり楽しんでいます^^今まで弾いた曲は、プラグイン管理していましたが、数が増えすぎたため、こちらの記事で更新することにしました。よろしければご覧下さい。
 尚、気分によって、記事の文体が著しく変わり、使いもしない方言が混じることがありますが、全て本人が書いています 笑

現在、訳あってレッスン記事を限定にしています。
再公開は未定です。
ブロとも申請及びパスワードの問い合わせに関し、コメントのやり取りのある方には
基本的に応じさせていただきたいと思っております。
よろしくお願いします。

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